1711 (将軍家宣)朝鮮信使を引見。(国書に将軍を日本国王と記す) 1741 (将軍吉宗)青木昆陽ら、オランダ語の学習を開始。 1764 (将軍家治)朝鮮信使、江戸に入り、将軍に拝謁。 1771 杉田玄白・前野良沢ら、千住小塚原で死刑囚の腋分(解剖)をする。 1774 杉田玄白・前野良沢ら、オランダ解剖書ターヘル・アナトミアを翻訳し『解体新書』を刊行する。 1785 前野良沢により蘭日辞典完成。 1808 イギリス船、長崎に侵入しオランダ人を捕捉。(フェートン号事件) 1814 〃 シャーロット号長崎来航。 1815 杉田玄白『蘭学事始』完成。 1823 ドイツ人シーボルト来朝、翌年長崎鳴滝塾を開く。 1826 オランダ商館長参府の際、シーボルト随行する。 1828 シーボルト帰国に際し、持ち出し禁止品を発見され、出島に幽閉、翌年帰国を命じ、再入国禁止される。 (注) 本表は『日本の歴史』別巻5(年表・地図−児玉幸多、斉藤忠編)より徳川時代における諸外国との関係と鎖国にいたる事項をまとめたものである。参考:和辻哲郎著『鎖国一日本の悲劇』上・下、岩波文庫一底本の刊行は1963年である。
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